三陸鉄道
前の記事で2020年5月18日開業の新田老駅を含め全41駅の画像が揃ったのでスライドショーにしました。原則以下の構成になってます。 2009年に乗降した旧南北リアス線の(当時)全駅は640x480のサイズの画像です。盛駅はまだ鉄道だったJRも含まれています。 上…
「十府ヶ浦海岸」は単線の駅です 駅名標 外観 待合室ホーム側 待合室内部 「盛」方を見る 振り返る 海岸側を見る:タンクローリーの向こうに震災遺構の「米田歩道橋」(の残骸)がある -全駅画像スライドショーにつづく-
「新田老」は単線の駅で宮古市田老総合事務所の3階にあります 駅名標 事務所の建屋 一階エレベータ前にあるから便利 3階の待合スペース ホームへの通路を渡って振り返る 「盛」方を見る 振り返る 裏側から見上げる -「十府ヶ浦海岸」へつづく-
「山口団地」は単線の駅で宮古市中心街の北西の住宅地にあります 駅名標 案内板 入口 待合所 「盛」方を見る 振り返る -「新田老」へつづく-
三陸鉄道の駅巡りは旧北リアス線区間の3駅が未乗降でした。2020年5月18日の新田老駅開業を待って、十府ヶ浦海岸駅と山口団地駅を合わせて巡って来ました。その後盛駅へ移動しました。 岩泉町の中心街で一泊し龍泉洞を観光して以後は以下の行程です。 龍泉…
「磯鶏」は単線の駅である、元は島式ホームだった 駅舎:「岩手船越」と同じタイプで震災前にすでに建て替えられていた。左の公衆トイレの方が立派だ JR時代の駅名表記を外した後が窓の右にうっすら残る、津波浸水線は1.3mぐらいか。 ホーム上り口 駅名標 「…
「八木沢・宮古短大」は単線の駅で、移管と同時に開業した。 駅舎 駅のホーム高さに合わせてスロープになっている 自転車置き場はここ 駅名標:季節にもよるんだろうけど「せせらぎ」は聞こえなかった 「釜石」方を見る 振り返る 列車込みで -つづく-
「津軽石」は相対式ホームの駅である。津波で浸水したが木造駅舎は残った。 駅舎:津波浸水線がある 出改札跡:のりば案内サインがJR様式でしかも山田線カラーである。「あくまで山田線として復旧した」ことがわかる。 駅舎ホーム側 駅名標:JR仕様で復旧し…
「払川」は単線の駅である。移管に伴い新設された。 入口・待合室 駐車場を囲むようにロータリーがある:駅側を嵩上げしてバリアフリースロープを短くしている 駅名標 「釜石」方を見る 振り返る -つづく-
「豊間根」は単線の駅で、内陸にあるため津波の被害は無かった。 1974-1978の航空写真 maps.gsi.go.jp を見ると、向かい側にもホームがあり、その奥に側線・留置線・機関庫や転車台?のようなものも見え、広い構内であったことがわかる。 現在は向かい側ホー…
「陸中山田」は相対式ホームの駅である。東の海岸から駅を越えて西の奥までの浸水と、偶発的な火災により旧駅舎は消失した。周囲はスーパーや金融機関、集合団地など街の機能は戻りつつあるが、まだまだ更地が多い。 駅舎:左側に図書館等の建屋は連なるもの…
「織笠」は単線の駅である。元は織笠川の南にあったが、復旧する際に北側のトンネルを抜けた先に移転した。織笠の街は織笠川の河口の北にあったが流失した。 線路をまたぐ道路から見る全景:奥が「釜石」方 道路の反対側 駅舎(待合室)内 ホーム側から見る …
「岩手船越」は相対式ホームの駅である。本州最東端の駅で船越半島の付け根にあり、半島側の低地は農地で駅の周囲の街は山側にあるので、駅共々ギリギリ浸水していないと考えられる。 駅舎はJR時代にすでに建て替えられていた。入口右上に駅名表示があったが…
「波坂海岸」は単線の駅である、津波は駅に到達した。 入口 上の位置で左に碑がある:さすがに自分が映ってるのはわかる 待合室 駅名標 「釜石」方を見る 振り返る 「宮古」方の踏切で「釜石」方を見る -つづく-
「吉里吉里」は単線の駅で、元は島式ホームだった。駅は高みにあり津波を免れた。 入口:旧駅舎は階段の手前左にあった。撤去されたのが2012年とのことだが、浸水は免れたので老朽化だろう。 階段を上ると元線路跡を横切る 振り返る 駅名標 待合室ホーム側 …
「大槌」は島式ホームの有人駅である。周囲は市街地であったが駅含め津波で広範囲に被災した。道路沿いの山側から街が再建されている。 駅舎:屋上の上屋は「(湾内にある蓬莱島をモデルにした)ひょっこりひょうたん島」を模している。 入口 乗車券のほかに…
「鵜住居」は島式ホームの駅である。元々駅の海側は農地で山側に街並みがあった。駅を含め周囲の平地全体が浸水し、2019年4月時点で建物はちらほらとしか建っていない。2019年ラグビーワールドカップが開催される復興スタジアムの最寄り駅である。 駅前ロー…
「両石」は単線の駅である。周辺は東日本大震災の津波で浸水し、少し高みにあるこの駅も遡上範囲であったはず。 入口 近くの港の小屋はモンゴル遊牧民の「ゲル」みたいなテントになっている 津波は奥に見える石垣を越えて遡上したはずだが、祠は守られていた…